グループホームゆうじんの基本理念

(法令などの漢字は原文ままを使用します)


ーグループホームゆうじんの基本理念ー

一般社会の中で生活するのがグループホームです

日本ではグループホームという名称が規定される以前は生活寮と呼ばれていました

障害者総合支援法に様々な規定が盛り込まれていますが不備があることも事実です

法の理念の中に三障害(身体・精神・知的)分け隔てなくというものがあります

精神や身体の障がいをもつ人々が生活するグループホームには施設看板がないものもたくさんありますが、知的を対象にしたグループホームには設立当時見当たりませんでした

社会のみんなが当たり前にしていることを私もやってみよう

私が帰るところは誰が見ても小さなワンルームマンション

私専用の部屋には私の玄関、私専用のトイレと風呂があり、好きな色のマットを敷き、夜は自分専用のテレビで好きな番組を見る

困った時にはスタッフに助けを求める


利用者各位はそれぞれいち個人です

考え方感じ方は10人いれば10通りです

一般社会の皆さんと同じように、壁の向こう側の住民といさかいを防ぐための最低限の決まり事さえ守れればいいのです

だってここは一般社会ですから

そういったグループホームが有っても良いのでは無いか?


ーグループホームゆうじんの支援理念・理事長がスタッフに期待することー

【スタートアップー最初に覚えること】

 スタッフは憲法に規定される「人権」を利用者各位に対して保障することは最低限度の責務です

これは支援する側・される側(してあげる人・してもらう人)等と言えばわかるでしょうか?

チカラのアンバランスがどうしても発生するのですから言うのです

とりわけ14.18.19条は福祉関係者においては常に意識することが求められます


 【相模原市で起こったとても恐ろしく悲しい事件の教訓はなんだろう?】

そう考えた時に真っ先に思い浮かぶのがコミュニケーションです

コミュニケーションが取れない人なんていない、コミュニケーションが取れないのはこちらの努力不足でしかないし、コミュニケーションが取れないのであればそもそも支援でもなんでもない

 利用者各位は私たちスタッフと同じ人間ですという当たり前のことを考えた時に思い至るのが「意思の決定」です

福祉のお仕事の中でもっともやりがいのあることではないでしょうか?決めるのは個々の人です

私たちスタッフはそこに至るまでの情報提供をわかりやすくする必要があります

 利用者各位に(特定)ゆうじん以外の法人が運営する福祉事業を活用してもらいましょう

さまざまな福祉サービスが受けられるメリットでひとつでもふたつでも豊かな人生になるよう活用しましょう

これは双方の職員間のコミュニケーションによって、こちらの良いところ悪いところを客観視するために必要なことですし、逆もまた然りです

福祉の世界に閉鎖性があるのならその閉鎖性を壊してしまいましょう


【親亡き後を考える】

私の子は知的障害と精神障害の合併障害を持つ人です

私が死んだ後、私と同じように我が子に接してくれる人はいるでしょうか?

ー出発点はここですー

私はこの人生で3回転職しています

就労する人々は常に流動的です

良き人と出会っても、それが一生続くとは考えにくいです

そういった前提に立たないと解決できないように思います

親族が居なくなれば味方になってくれる人がいなくなってしまうかも?まるでギャンブルです

そこで、流動化による不安定要素をできるだけ少なくするため私は以下のことを考えました


(1)財産管理を現在の制度で言う「(A)地域権利擁護」とか「(B)後見人制度」に委ねる

(2)(A)(B)いずれもグループホームとの行き来が発生するので相互チェックができる

(3)(A)は地域の社会福祉協議会でやっており、一回の支援あたり千円くらいかかるが敷居が低く利用しやすい

(4)(B)は申請書類が大変だったりするが裁判所が関わるため透明度は最高、チャレンジの値打ちありと思う

グループホームゆうじんではこの方法をご親族がどなたもいらっしゃらない利用者さん全てに導入します

ご親族がいらっしゃる方にも、このような制度があることを必ず案内しましょう

ご親族にも個々人としての人生がありますからね、そのことを忘れないように


【障がい者差別とたたかってくださいー乗り物の乗車拒否からヘイトクライムまで】

ここはみんなで考えたい問題です

(Q1)障がいが無い人と障がいがある人、どちらが人数が多いですか?

(Q2) 障がい者差別をする人の差別の原動力とはなんでしょうか?

(Q3) 障がい者差別の解消に向かっていくために必要なことはなんでしょうか?

{豆知識:人数が多い=大多数の人々をマジョリティといい、少ない人々をマイノリティといいます}

人数が少ないマイノリティが大きな声で精一杯叫んだ音量と、人数が多いマジョリティが精一杯叫んだ時の音量を比べれば、人数が多い方が音が大きくなり遠くまで届くようになるのは明らかですよね?という(Q1)からはじまり

マジョリティが大きな声で差別を叫んだらそれこそ地獄絵図になりますが、差別に反対する!差別するな!と叫んだらどうなるでしょうか?

それで、

今まで差別していた人が、自分の誤りに気付いて差別は良くないと言ってくれるようになるにはどうしたら?というのが(Q2)になります

私たちが暮らす社会にはマジョリティな人がいっぱいいます。その人たちは差別がない社会の方が自分にとっても居心地がいい社会になるのではないでしょうか?ギスギスした社会のほうが好きって人は少ないのではないでしょうか?というのが(Q3)になります


どうか一緒に考えてください、お願いいたします






© 特定非営利活動法人ゆうじん 2009